亡霊



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 ずっと考えていた。私が誰で、何をする為に生まれて来た人間なのかを。彼女が何者で、私にとってどういう影響をもたらす人なのかを。ふたりは何なのか? もう出ているようで、まだ出ていない答えを私は探していた。
 こんな例え話を聞いた事がある。「二人の囚人が同じ牢屋につながれていた。ひとりは泥を見た。ひとりは月を見た。」人生という言わば牢獄に住むものは何をするべきか? 何を目指すべきか? 誰にでも判る問いかけだ。無論、いや無論そんな簡単な答えが欲しい訳ではなく、私は今まで気付きもしなかった何かを探していたのだった。
 彼女は何で、私は誰か? いくら考えても出ない答えをこそ、私は求めていた。ただ、探し、求めていたのだ。ずっと後になって知ることになる。そう信じて私は今日も一日を始める。

 それから二年が経った。
 時の流れというものは止めようとすればするほど早く過ぎるものだ。私たちは三年生になっていた。受験生であった。どこを受験するか、どこの入社試験を受けるか、級友たちの話題はもっぱらそれに限られていた。。私の興味はといえば、彼女がどこに進むのかにあった。進学するのであれば同じ大学なり専門校へ私も行くし、入社するのであれば同じ会社かその近くの会社もしくは出入りの業者先に就職するつもりだった。彼女の近くにいたかった。彼女の内に居たかった。許されるのであれば胎児になって彼女の子宮のなかで泳いでいたい。そんな思いを知ってか知らずか彼女の私に対する態度というものは相も変わらず冷たかった。廊下ですれ違っても挨拶は無い、休日に一緒にいる事ももちろん無かった。
 私は、私は。出来るだけ彼女のそばに居たい。でも彼女はそれを許さない。それが私たち相互の約束事であるにしても地団太を踏みたくなる様な思いをしていた。
 二ヶ月が経ち三ヶ月が経ち、半年が経った。彼女の進路希望先が判明する。P大学に進学というものだった。私は進路指導室ですぐにその学校について調べる。大丈夫だ。もう少し頑張れば私にも手の届く学校であった。私は安堵しその夜遅くまで受験勉強をした。
 さらに数ヶ月経ち、お互いの希望する大学の受験日が迫った。私は神頼みをしない。だってこれは神の定め賜うた運命なのだから。彼女の後ろに付いて歩くように、けれども気付かれない様に試験会場に赴き試験を受けた。首尾は上々だ。何問か解けなかったが私は自信満々で帰路に着いた。数日後の合格通知を待つ。案の定、合格していた。ふふふ。私は心のなかでほくそ笑み彼女に電話した。なお、私は彼女の携帯電話番号を知らされていなかったので学校の連絡帳から彼女の自宅の番号を調べた上で、かけ直した。
「はい?」
 都合良く彼女自身が電話を受けたので私はP大に受かったかどうかを訊いた。
「受かったけど? 何?」
 明らかに不機嫌そうな彼女を尻目に私も同じ大学に合格した事を伝え、受話器を置いた。
 これから新しい生活が始まるだろう。楽しみで楽しみでその夜は遅くまで眠れなかった。
 卒業式だ。私はベッドから身を起こし支度をする。家を出るとき母親に何度も忘れ物はないかと訊かれたがそんなもの、あるわけない。旅立ちの日だ。身ひとつで事は足りる。私は高校へ最後の通学をする。
 最後の通学路は早春の風、心地よく私の身体を撫でる。三年間この道を辿った。雨も風も晴れの日も一日も休まず。すべては彼女との絆を守る為に。そして今日私はこの学び舎を立ち、新しい生活に入るだろう。風も太陽もすべてが私を祝福している様に感じられた。そうだ。思うがままに事は運ぶはずだ。定められた通りに。
 卒業式が始まり、皆生徒も父兄も先生方も静粛に厳粛に式次第は進められた。在校生の送辞を受けて卒業生代表の答辞がマイクを通して伝えられていく。
「みなさん。わたしたちは今日この学び舎を立ちます。三年間苦楽を共にした級友、お教え頂いた先生方、後輩たち。そのすべてとお別れをするのです。ですが、」
 代表生は咳払いをした。
「ですが、それは決別ではありません。あり得ません。私たちより先に卒業された先輩方もこうして巣立ったのです。彼らがおそれる必要は何もないと教えてくれます。大丈夫だよと、一期二期前の先輩方、そしてこの学校を卒業した方たちの前例がそれを示してくれています。頭がぼんやりする程勉強に打ち込んだり、厳しい指導に耐えきったクラブ活動などすべてが私たちの背中を押してくれます。父兄の方々の応援なしにはこの三年間は送れませんでした。恩師の先生方の教えを忘れないよう、この学び舎で出会い励ましてくれたすべての方にお礼を申し上げます。ありがとうございました。私たちは新しい場所へゆきます」
 拍手があった。ふと私の視線は泳ぎ彼女を探した。彼女はハンカチで目元を拭っていた。
(何で泣いてるんだろう?)
(ああ、そうか。感極まっているんだ)
(僕と別れるのが悲しい?)
(だいじょうぶ。また、すぐに会えるから)
 私は彼女から視線を外し、姿勢を正して前を向き直し壇上の式次第を見送っていた。
 式が終了し私たちは見送られる側に変わり正門から外へ踏み出した。これからまた新しい生活が始まる。







 その日は早くに目が覚めた。大学に入学してから、はや一ヶ月が経ち、一人暮らしにまだ慣れない私はガスコンロの元栓、戸締まり、それからまだ忘れているものはないかと不器用に確認してからアパートを出た。学生街にあるそこから学校まではひどく近く、三年間電車通学した私には違和感さえ覚えるほどだった。まるで徒歩通学の中学校、小学校そして幼稚園に戻ったような錯覚さえするような。子供のように期待に胸膨らませながら私は自転車をゆっくりと走らせた。彼女の待つ新しい学び舎へ。
 駐輪場に自転車を止め、掲示板を確認する。特に変わった情報も私に関するものはなく、そこを後にする。自販機でパックジュースを買い、ストローを突き立てベンチに座って飲んでいると、
「やあ」
 誰だろう? 見覚えのないひとだ。別のひとに声を掛けたのかと疑い左右を確認する。もう一度、
「やあ」
 どうやら私に話しかけているらしい。
「君は?」
 私が質問するとそれには答えず隣に座り込みニコニコしている。
「なにか用?」
 再度問いただすと彼は、
「君に興味があってね」
「はあ」
「君のような顔をしている人間に興味があってね」
「はあ」
 どうも失礼な奴だな。私がどんな顔をしていようがそれは両親の遺伝であって私に責任は無い。
「悩みがあるだろう?」
 不躾な質問に、
「いや、ない」
 と私。
「あるはずだ」
「ないけれど」
 そんな問答を何回も繰り返すうちに、
「それだ!」
 と彼。
「その彼女について僕に聞かせてくれ」
 しぶしぶ私は話した。
 「運命の出会い」、「前世での記憶」、「神が定め賜うた恋人同士」。ふと彼の方を向くとニヤニヤしている。
「疑うのか?」
 と問うた私に、
「いいや?」
 と彼。でもニヤケ面は変わらない。「なら、何で笑ってる?」と咎めると彼はひとこと、
「嬉しいのさ」
 腑に落ちない表情の私にまた彼は、
「君のような人間に出会えてね。やっと出会えてね。だから」
 そのまま席を立って向こうに行ってしまった。ひとり残された私は持っていたパックジュースを音を立てて飲み切るとゴミ箱に捨て「何だったんだろう?」と考えた。

 それからの彼は私を見つけると隣に座り、私に付いて歩き回り、何かしら訊いてくる。つまり、つきまとわれていた。
「用もないのに」
 苦情を言うと、「僕は君に用がある」と答える。
「だから、何の用?」
 そのとき、彼は僕の顔をじっと見て
「研究さ」
「研究?」
 彼は「そう」と答えてまた話しかけてくる。七面倒くさい奴だ。
「ここは三流大学とはいえ、国の最高学府だ。研究は常に必要必要」
「だから何の研究なんだ?」
 そうすると決まって捨て台詞を吐いて去るのみだ。「それは言えない」と。

 彼の「研究」は、着々と進んでいるようだった。私が尋ねると、
「今日も成果があった」
「順調だ」
「また新しい発見をした」
「テーマもだいぶ、固まってきた」等々。相変わらずニヤケ面で私の隣に座り、何かしら訊いてくる。
「面白いかい?」
 私が皮肉を込めて尋ねると、
「そりゃあ、もう。こんなに有意義な研究対象は他に見つけられないよ」
 ニコニコ、いやニヤニヤしている。正直、不愉快だ。それを伝えると、
「これは君のためにもなるんだぜ?」
 思わせぶりなことを言う。それ以上は何も語らない。私はもっと不機嫌になり、
「じゃあ」
 と彼に別れを告げると
「ああ、また」
 と苛つかせる台詞をまた私に吐いた。
 さて彼女、運命の君とは随分顔を合わせることがなかった。こんなにも好いているというのに。同じ学び舎で日を送っているというのに。
 新しい情報が入った。発見だ。どうやら彼女は高校時代につきあっていた大学生を追ってこの学校へ入学したらしい。ということだ。私の調べたところによれば大学生とは幼馴染みであって彼が大学から実家のある彼女の住む町に帰省する度に会っていたのだ。憧れの人だったのだろう。我々は一年生。彼は現在三年生。優秀な男らしく大学を卒業せずそのまま院に進む事を担当教授から勧められているらしい、というのも最近入った情報のひとつだ。
 何度か見た事がある。彼女が男と歩くのを。何度も見た事がある。楽しそうに笑うのを。でも、でも不思議と悔しいとか嫉妬するとか、いう事は覚えなかった。おかしいと言えばおかしいのだが、まあ私はそうだった。だって当たり前じゃないか。最後に私と彼女が結ばれるのはもう決まっているのだから。悔しいなんて、あるはずもない。笑うのは私だ。最終的には。

「こんにちわ」
「こんにちわ」
 ゼミで交わす挨拶がこうだったらいいのに。実際は、
「また、あいつ来てるよ」
「気味悪いな」
 私を中傷する声。聞こえないフリをして席に着く。
「教授来たよ」
「面倒くせー」
 なるほど三流大学だな。私は苦笑した。教室棟のエレベーターロビーには吸い殻が散乱している。清掃員のおじいさんは悪態を吐きながらそれを片付ける。いつものいつもの我が大学校だ。
「設備だけは一人前だな」
 私は大学の敷地を見渡した。ぐるっと。理科系の研究棟、実験設備、教室の空調、エレベーター付きの七階建て。すべてが完備されていて、そこに通う学生だけが落第点だ。
「本当にねえ」
 彼がそう呟いた。
「また、君か」
「うん」
「飽きないね」
「うん」
「懲りないね」
 言うと彼はコクリと頷いた。まるで私の台詞を予め台本で知っていたかのように。
「次の僕の台詞は?」
「彼女のことだね」
 「ああ、そうだ」と私は思い出したように語り始めた。


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